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農地と徴税の仕組み(荘園とか)まとめ~前編~

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アウです。

 

長い日本史の中で税の中心となったのは間違いなく米です。しかしその徴税法、徴税担当者は時代と共に大きく変わっていきました。そしてそれが権力に大きく直結していました!中央集権・地方分権に

まで絡む、今まであまり語られていない「米」サイドから日本史!簡潔纏め!!!

 

 

 

1.豪族の私有地の時代(飛鳥)

一般的に縄文時代には貧富というものがなかったと言われています。それは「価値の貯蔵」が難しかったからだと言えます。

しかし縄文末期or弥生時代に「稲作」が日本に伝わり、更に西日本から東日本へと拡大していくと、貧富の差が出来始め、豪族や王国へと繋がっていきました。

そして古墳時代には畿内に大和政権が誕生します。これは各有力豪族の連合の上に大王が立つ、それ以降の時代と比べて緩やか主従関係の政権でした。

その緩やかさは田んぼにも現れています。

豪族の私有地は「田荘(たどころ)」、私有民は「部曲(かきべ)」と呼ばれ、

大王、王族の私有地、私有民もそれぞれ「屯倉(みやけ)」「名代(なしろ)」と呼ばれていました。

このように、大王も豪族もそれぞれに独立した基盤を持っている連合政権だったのです。

 

2.大化の改新と口分田と戸籍(飛鳥)

大王と豪族の関係が大きく変わったのは645年乙巳の変、そしてそれに続く大化改新です。(異説もあります)

全ての土地・人民を大王の下に置く「公地公民」の制度に変わり、大王への中央集権国家へと変革していきました。

戸籍を作り、口分田を与え、そこから税金をとる仕組みを作りました。(班田収授制)

ただ、この時期の王族にこんなパワーがあったかは疑問で実際に出来たとしても672壬申の乱以降の主要豪族が没落した後じゃなかったのかな?とは思います。

 

3.班田収授制の崩壊と三世一身法(飛鳥〜奈良)

しかし、この時代税の重さに耐えきれず、逃亡する農民多数。荒れ果てた土地も増えて来ました。

そこで朝廷が思いついたのが723「三世一身法」自ら切り開いた(=開墾)土地は本人、子供、孫の3代に渡って税を免除する(≒私有地)という公地公民の理念をぶっ壊すものでした。

 

4.三世一身法の失敗と墾田永年私財法(奈良)

しかし三世一身法では開墾は進まず失敗に終わりました。

743年「墾田永年私財法」開墾した土地は全てその人のモノ。という制度が新たに出来ました。公地公民の理念はここにきて完全に崩壊します。

ここで開墾に乗り出したのは貧しい農民ではなく、貴族や地方の有力者でした。

 

<以下予告>

5.墾田永年私財法と初期荘園(奈良〜平安)

 

6.荘園の進化と荘園公領並立制(平安)

 

6.5知行国制度(平安〜鎌倉)

 

7.地頭の登場(鎌倉)

 

8.下地中分制と地頭請(鎌倉)

 

9.室町時代と守護請(室町)

 

10.従来の仕組みの崩壊と国人(戦国)

 

11.封建制と大名領国制(戦国)

 

12.升の統一と太閤検地(安土桃山)

 

13.幕藩体制(江戸)

 

14.大地主と小作人の増加(江戸)

 

15.変わる都市部と変わらぬ地方(明治〜昭和)

 

16.農地解放(昭和)

 

17.減反政策とは(昭和〜平成)

 

18.後継者不足と日本の稲作のこれから(平成)